「コクリコ坂から」は宮崎駿監督の息子である宮崎吾郎さんが監督を務めた2つ目の作品です(1作目は「ゲド戦記」)
超有名なお父さんを引き継いで監督を務めるのは相当なプレッシャーだったでしょうね。
ジブリファンの間でもこの点については話題になっており、
さまざまな「制作時の裏話や、作品にまつわる都市伝説」が語られています。
この記事では、世の中にあまり知られていない「コクリコ坂から」についての制作裏話(エピソード)や、
ちょっと気になる都市伝説を紹介します。
ぜひ参考にしてみてくださいね。
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宮崎吾郎監督(宮崎駿監督の息子)はコクリコ坂の監督をやりたくなかった?
宮崎吾郎が監督を務める2作目の作品「コクリコ坂から」は原作とはかなり違ったものになっています。
ジブリ作品は原作がある場合、映画にする際にはかなり変更してあります。
宮崎吾郎氏の1作品目は「ゲド戦記」でした。
この作品も原作とは違ったものになっています。
しかし、スタジオジブリの監督として、また宮崎駿氏の後継者としてのプレッシャーは重くのしかかってきたのでしょう。
この「コクリコ坂から」の監督は本当のところやりたくなかったと言われています。
映画の責任者になると、いやおうなしに父親である宮崎駿氏と比べられます。
周りのスタッフも宮崎吾郎氏の苦悩は理解していたと思われます。
こういった経緯から偉大な父親である宮崎駿氏を超えていくためにも、「旅立ちはアナタの背中から」というのが当初の題名になる予定だったそうです。
カルチェラタン(文化部部室棟・通称)は原作では登場しない!
映画では、存続させるか否かが大きな問題となってくるカルチェラタンですが、実は原作には一度も出てきません。
実は、「コクリコ坂から」の原作は映画の内容とはだいぶ違っているのです。
例えば主人公の名前も違いますし、作品全体を通した雰囲気もずいぶんと違いがあります。
(原作は激動の学生運動を描いた作品であるだけにやや重苦しい雰囲気。
初々しい学生時代の思い出として話が広がる映画とはずいぶん差があります)
映画でも学生運動の描写は出てきますが、原作で描かれているそれは、
映画とは比べ物にならないほどえげつない内容です。
しかし映画では爽やかな青春時代のよき思い出として描かれています。
初恋の甘酸っぱい経験や、大人への扉を開けて成長していく主人公を応援する友人たちの姿。
時代背景も東京オリンピックが開催される年と相まって、終始明るい雰囲気を醸し出しています。
「主人公の父親の死」と宮崎駿・吾郎親子の関係性は?
映画の主人公「松崎海」の父親は、朝鮮戦争の時にLSTと呼ばれる船の船長をしていました。
その船が物資輸送の時に機雷と接触したため、爆発に巻き込まれて死亡しています。
この時の爆破シーンが映画には出てきませんが、宮崎駿氏が反対したようです。
爆破シーンは宮崎吾郎氏の企画ではある程度まで出来上がっていたようですが、
反対された時にはどう思ったことでしょうか?
やはりまだまだ宮崎吾郎氏にとっての父親は大きな壁であることは、間違いないでしょう。
がしかし、映画の主人公は父親の死を乗り越え、成長していきます。
宮崎吾郎氏もまた宮崎駿氏の存在を乗り越えていくことでしょう。
「コクリコ坂から」の豪華すぎる声優陣の理由は?
スタジオジブリの作品といえば、プロの声優ではなく俳優や歌手といった意外な人物を起用することで有名です。
「コクリコ坂から」も俳優が勢ぞろいでした。
主人公の声を担当した長澤まさみだけでなく、岡田准一や竹下景子など顔ぶれは豪華過ぎます。
今までのジブリ作品でも意外な顔ぶれが並びましたが、この作品ほど派手ではありませんでした。
これはひとえに宮崎駿氏が「コクリコ坂から」という作品のファンであったというだけでなく、
息子である宮崎吾郎氏の映画の成功をと考えた結果ではないでしょうか。