ちゃんと勝ったはずなのに、なぜか胸が重い。
助けたはずなのに、救われた感じがしない。
呪術廻戦を見終わったあと、
「面白かった」で終われない感覚が残ることはありませんか。
バトルは派手で、展開も熱い。
キャラクターも魅力的で、続きが気になる。
それなのに、どこかスッキリしない。
この記事では、その違和感について、
難しい設定や正解探しはいったん置いて、
キャラクターの行動だけを見ながら考えてみます。
勝ったのにスッキリしないのは、なぜだろう
多くのアニメでは、
- 敵を倒す
- 問題が解決する
- 日常に戻る
という流れがあります。
でも呪術廻戦では、
勝ったあとにも何かが残ることが多い。
それはたぶん、
倒した相手だけが問題だったわけではないからです。
事件は終わっても、
人の感情や、取り返しのつかない選択は残ったまま。
「助けた」と「救われた」は同じじゃない
呪術廻戦では、誰かを助ける場面が何度も描かれます。
でも、そのあとに描かれるのは、
- 元の生活に戻れない姿
- 心に傷を残したままの表情
だったりします。
ここで感じるモヤっとは、
「助けた=救われた」ではない
という事実から来ているのかもしれません。
命は守れた。
でも、すべてを元通りにはできなかった。
その現実が、後味の悪さとして残ります。
この時、虎杖はなぜ止まれなかったのか?
ここからは、キャラクターの行動だけを見ます。
虎杖悠仁は、何度も選択を迫られます。
進めば、誰かが傷つく。
止まれば、別の誰かが傷つく。
そのたびに虎杖は、
立ち止まらずに進むことを選びます。
なぜ止まれなかったのか。
それは、
止まること自体が「間違い」だと思っていた
からなのかもしれません。
誰かを見捨てる選択をするくらいなら、
自分が傷つくほうを選ぶ。
虎杖の行動は、
正しさを疑わない強さと、
正しさに縛られた弱さの両方を感じさせます。
伏黒は、なぜ割り切れてしまうのか
伏黒恵は、虎杖とは少し違います。
彼は最初から、
「全員は救えない」という前提に立っています。
だから、
- 誰を助けるかを選ぶ
- 後悔しても立ち止まらない
という行動ができます。
冷たく見えるかもしれません。
でももしかすると、
止まれない世界で生きるための、ひとつの答え
なのかもしれません。
虎杖が「正しさ」を信じて進むなら、
伏黒は「現実」を受け入れて進む。
その違いが、物語の中で何度も衝突します。
五条は、なぜ全部を壊さないのか
五条悟を見ていると、
「全部一人でやればいいのに」と思うことがあります。
実際、それができる力を持っています。
それでも五条は、
すべてを自分で解決しようとはしません。
若い世代に任せる。
失敗する余地を残す。
それは、
正しさを押し付けることの危うさ
を知っているからなのかもしれません。
正しい人が、正しいまま世界を支配する。
それが本当に正しいのか。
五条の行動は、
その問いを投げかけているようにも見えます。
だから、呪術廻戦は後味が悪い
呪術廻戦がスッキリしないのは、
- 誰も完璧じゃない
- 正解がひとつじゃない
- 選ばなかった未来が必ず残る
そんな世界を描いているからです。
勝っても、
「本当にこれで良かったのか?」
という問いが残る。
それが、後味の正体なのかもしれません。
もしかすると、こういうことなのかもしれない
呪術廻戦は、
正しさで人を救う話ではない
のかもしれません。
正しさを信じて進む人。
割り切って進む人。
壊さずに託す人。
どれも間違いだとは言い切れない。
だからこそ、
見終わったあとに、少しだけ考えてしまう
そんな物語になっているのかもしれません。
まとめ
- 助けたのに、救われないことがある
- 勝っても、終わらないものがある
- 正解を出さないから、心に残る
もしもう一度呪術廻戦を見るなら、
「この人は、なぜこの選択をしたんだろう」
そんな目線で見てみてください。
きっと、前とは少し違う景色が見えるはずです。